高校2,3年生(定かでない)のときまで
私の実家はかなりぼろいアパートの2室が住まいでした。
今思うと、すごいところに住んでいたんですよ。
トイレや、水屋は共同。
6畳一間のアパートの一室に付属している調理スペースはガス台がたったの一個。
いったいどこで野菜や魚を切っていたんでしょう?
それくらい、貧相なものでした。
使い終わったお茶碗を洗うのも共同の水屋まで持っていったんです。
玄関を入って共同の靴箱ってのもあったなー。
なによりも小学校低学年になるまでは’家族4人が6畳一間住まい’ってのがインパクトありますねーー。
廊下をダッタダッターーと走っていくと、途中の部屋に住んでるおばさんが突然ドアを開けるんですっ!、
’静かにしなさい!!!!’って怒鳴られ、お尻をはたかれたこともある~~。
このことはあまりにおおごとで当時は親に言えなかったくらい。
それ以来、廊下は静かに歩くようになりました・・・。
今じゃ、こんなおっかない近所のおばさんっなんてのはいませんね。
叱ってくれる他人なんてありえない世の中ですから。
まさに’3丁目の夕日’世代なんですね、私。
そしてめでたく建て替えられた新しいマンションに入りました。
それから、30年。
この新しいマンションから私も嫁ぎ、弟も結婚して家を出ました。
この間、一度も家の内部を改造したり、直したりすることはありませんでした。
30年もすれば、お風呂もぼろぼろ、台所の床もぼこぼこいってる。
それでも林檎屋両親は手直しをしませんでした。
そんなことより、
私達子供たちのためにお金をかけてくれたんだと今はやっとわかります。
そしてこのたび、ようやくリフォーム!
早速見に行って来ましたよ!
一番変わったのはなんといってもお風呂か。
湿気で扉のノブは朽ちてたし、そこらじゅうのタイルもはげてたし、
洗面スペースも壊れて、そのままだったし、
お風呂のお湯はちゃんと設定どおりに出ないし・・・。
それが最新式のいいやつになってました。
壁紙も張り替えたので、家全体が明るくなった感じ。
お店を閉じて早2年。
やっとうちの中も綺麗になったし、
老後をエンジョイするのはこれから!!の林檎屋両親なのでした。
それにしても親を見ていると、
コンパクトに暮らすのって大事だなぁと
つくづく思いますね。
無駄な持ち物が多すぎる私・・・。
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栃尾又ラジウム温泉 宝巌堂(ほうがんどう) 8室の小さな温泉宿です
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うーん、順位が下がってた。
どうしたら上がるの?とあるじ・・・。
わかりません。
クリックするにも限度があるよ~。
ということで、お願いしますです。
お暑うございます。
だいぶ前のブログへのコメントだけど、許してね。
いやぁ~ なっつかしいねー!!
あのアパートとあの部屋は、過去の記憶の中に強烈に残ってるものベスト5に入るかも。
絶妙な設計の基にしつらえられた台所スペースでは、林檎屋母様は大声で話し高らかに笑いながら手早く料理してた。
離乳食に林檎を摩り下ろし、ガーゼで絞って100%手作り林檎ジュースを作ってた映像がしっかり残ってます。
蕎麦好きな林檎屋父上は微妙な茹で加減を人任せにできず、確か自分でやってたような記憶があるけど・・・違った?
階段を上がって右側に下駄箱、その先は薄暗くておまけに歩くとミシミシ鳴る廊下は黒光り。時に開けっ放しになっている両側に並ぶ10程の茶色いドアからは各家庭の話し声が聞こえてた。
共同トイレは妙にだだっ広くて、子供にとっては薄気味悪い場所で、あそこを使うのはちょいと苦手でござんした。
でも、林檎屋仲良しおちび達は間違いなくあそこから巣立ったのよね。う~ん。。。なんだかじ~んと来るぜい。
そんなこんなで今日は話題に沿った名前で投稿してみました。以上、まだまだ思い出話は尽きませんがキリがないのでこの辺で。
暑いから気を付けんしゃいねー!!
>P子さま
ホントにあなたの記憶力のすごさには脱帽です・・・。
すぐ目の前にアパートの廊下が現れたよー!
あの台所は絶妙な設計だったのかもね。
あの林檎屋母がすりおろし林檎ジュースを作っていたとは
知らなかったわ。
それにしてもすごいアパートだったけど、
今思い出すと、別にそう嫌じゃなかった。
思い出せば思い出すほど、
なんだかもう一度あの場所に帰りたくなる。
元気をきっとたくさんくれる場所なのかもしれないなー。
P子さんも夏バテしないようにねー。
いつもありがとう!!!