二回目は宿屋に嫁いだときのことを書きました。
もう25年も経つんだなぁ。
あっという間でしたが、あまり変わっていない気もする。
気持ちはいつまでも嫁に来たときとあまり変わらないのかも。
——————————
「宿屋って面白い」
宿屋の女将をしています。
若くはありませんが、「若女将」なのです。
この若女将が「将来、これだけは絶対になりたくない」
という仕事の一つが「旅館」という文字が付く職種でした。
学生時代にアルバイトをしたときから、心に誓っていたくらい嫌でした。
「休みはない」「自由がない」「自分の時間はない」に加え、
「仕事場と家庭が一緒」。
24時間気が休まらなかったバイトでは、たった一週間で根を上げました。
あー、でも人生って何が起こるかわからないですねー。
あるじ(夫)と知り合ったのは、
当時は越路町に本社のあったヨネックスの東京本店に勤めているとき。
あるじが受けた注文を社内で処理をするパートナーで、
まさしく女房役でした。
結婚当初は3年間、東京で暮らしました。
戻ってきたら、老朽化したこの宿を建て直すことになっていたのです。
でも、その話は出ては消え、また出ては消え。
もうこのままでもいいか、半ばあきらめも入り、
そんな気分にもなっていました。
さて、あれほど嫌だった宿屋の仕事。
実際はどうだったかというと、
嫁に来た頃は慣れないせいもあって同じ印象でした。
でも、ひとり娘が生まれた頃から、自分のペースがつかめるようになってきたのです。
今は亡きじいじは最初から私たちに全権を与えてくれたし、
ばあばも私のやりたいようにやらせてくれた。
大きな信頼で今の私が育てられたのですね。
そして2004年4月、「苦節19年」で念願だった宿を新しくすることができました。
それからです。「宿屋って面白い」と感じられるようになったのは。
グラスや茶わん、枕、座布団カバーの一つ一つが
そしてお客さまへの言葉なども「自分を表現できる場なのかもしれない」と
思えるようになったのです。
「こうしたい」「ああしたい」と頭に浮かんだ考えを試してみることが、
毎日の仕事の中でできるなんて、素敵だとおもいませんか。
それに対して、常にお客さまから「ありがとう」と言ってもらえる。
こんなすごい商売ないですよね。
さて、この欄の担当者交代が掲載されたその晩、
かつて仲良しだった銀行の担当の方が電話をくれました。
「夕刊見てびっくりしたよ。よかったねー」と
自分のことのように喜んでくれ、
「これから夕刊を見る楽しみが増えたよ!」と応援してくれました。
嫁に来て25年。
周囲の人にこんなにたくさんの応援をもらってここまで来ました。
もう「宿屋は嫌い」だなんて言えませんね。
《おわり》
———————