4月25日、
新潟日報の3か月続いた連載も終了しました。
本当にたくさんの方から応援メッセージを頂戴しました。
仲良しの銀行マンさんをはじめ、
毎週木曜日だけ日報を購読してくれた高校の友達。
昨年38年ぶりに再会して、今新潟に勤務している中学の友人。
‘あまりに懐かしくて??’とか、
‘毎週見てますよ??’と
お電話やお便りをいただいたお客さま、
‘読むのが大好きでした!’とハガキをくれた女将仲間。
従姉のP子。
まだまだたくさんの皆さんから、
嬉しい言葉を頂戴しました。
あっという間の3が月でした。
途中はなんだか気負ってしまって、難しい事ばかり考えていた。
でも担当の方の一言で肩の力が抜けて、
身近な話題で楽しく書くことができました。
つたない文章の校正はきっと大変だったことでしょう。
最終回は、
‘魚沼からありがとの!
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《魚沼からありがとの!》
「晴雨計もいよいよ最終回になったてぇ。
最後は何を書けばいいやら、はて、おごったぁ。
締め切りが近づいてるいやぁ」
魚沼暮らしも25年。
最初は方言に四苦八苦しました。
でも、娘が保育所に通いはじめ、同年代のお母さん友達が増えるにつれて、
魚沼ことばがどんどん身についてきました。
でも、浅草の実家に行って戻ってくると、
私の言葉は元に戻るそうで、
ばあばには
「おまぇさん、何を言ってるかさっぱりわからんてぇ?」と
よく言われていました。
浅草ことばは超早口でまくしたて、
まるでケンカしているみたいだからなんです。
東京生活ではまったく魚沼ことばの出なかったあるじですが、
だんだんと口にすることが増え、
ぎこちない感じから、あっという間に魚沼人に変身。
語尾やイントネーションが明らかに違います。
一番違うのは方言を口にするときに醸し出す雰囲気。
なんだか私の知ってるあるじとは違う人みたいでした。
方言には多少内容がきつくてもそれをオブラートに包む力があります。
標準語で言ったら大ゲンカであるような会話も、
何だかほのぼのと聞こえるのは東京もんの私だけはないはず。
そして妙に的を得ているから面白い。
みんながお国ことばで話すようになったら、
きっと争いも起きないかもしれませんね。
魚沼ことばで最初に覚えて、一番よく口にするのは
「はらくっちぇ」です。ご存じ「おなかがいっぱい」。
たまにお客さまにも使ってしまうくらいです。
それともう一つが「おごったぁ」です。
大事(おおごと)から来ているんだと思います。
私は、初めて耳にする言葉はまず、
その意味を漢字に変換します。それからその時の場面を想像する。
そうするとなんとなく意味ができるようになります。
でも、この二つが得意だなんて、
私の普段の生活がよくわかりますね。
慣れない土地での生活も
こうして言葉とともに地についてくるものだったのでした。
連載中は、友人や知人、宝巌堂のお客さまから
「読んでるよ」とたくさんの応援をいただきました。
本当にありがとうございます。
そして最大の理解者のあるじへも、魚沼ことばで感謝します。
「とうちゃん、いつもありがとの。
これからも、おらのことたのむの?」
では皆さん、またのー!
《おわり》
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ほっとして、しばらくしたら
なんだか気が抜けた。
まだまだ書くことあったでしょう?
と友達から聞かれました。
あるような、ないような。
でも、
またこんな素晴らしいお声がけがあったなら、
やっぱり・・・・・・
と思ったのでした。
3か月間、ありがとうございました。