宝巌堂の夏の風物詩は梨茄子漬と、枝豆!
毎年、宝巌堂のお客様のために、
通称’枝豆おじさん’が作ってくれてた枝豆が
食卓に登場しなくなってどれくらい経つでしょう。
毎年、欠かさず、叔父さんとの枝豆ごったくをブログに書いてきました。
最後の記事は2013年でした。
叔父さんもだんだん年を重ね、
田んぼも畑も卒業し、
私にとっても、夏の風物詩だった’枝豆収穫’をしなくなってから
何年くらいたったでしょう。
ついこの間のことのようです。
まさか、この私が、
枝豆収穫に畑に出向くようになるとは!
そして、
農作業は全く興味の対象外だったのに、
興味を持てるようになったのも、
どれもこれも全部、叔父さんのおかげです。
なーんてかっこよげなこと言ってますが、
草取りもしない、土いじりもしない、肥料まきだってしない、
水やりもしない、なーんにもしてません。
ただ、ただ
叔父さんとしたのは’枝豆談義’。
楽しかったなぁ~~!
なんにもしない私に、
’おぃ、この豆はそろそろどうだ?
採り頃じゃねぇか?
まだだかのう?’って
2人して、枝豆の実の入り具合を話し合う。
叔父さんが丹精込めて作った枝豆を前に、
いっちょまえの意見を述べる、食べるだけの私。
夏のあっちぇ時期に、叔父さんの家で
枝豆を収穫して、葉っぱもみんなそこに落として、
綺麗に処理して、食べれる状態にして、
宝巌堂まで持ち帰る。
いったいどれくらいの期間、こんな調子のいい、
そして、
とんでもなく、ありがたいことをしていたか。
今、思い出しながら、
どんどん思い出が蘇ってきて、
このブログを書いています。
5月22日、
叔父さんが亡くなりました。
林檎屋父と1つ違い。
誕生日も1日違い。
父が亡くなってからなおさら
叔父さんの誕生日を思い出すようになりました。
具合があまりよくないということを耳にはしていましたが、
でもまさか、ね、あまり予想してはいなかった。
20日は叔父さんの誕生日。
飲み込むことが容易でなかった叔父さんには
ゼリーとかプリンがいいだろうと思い、
誕生日のプレゼントに持っていきました。
入院中だったけど、
でもまさか、この2日後に
逝ってしまうなんて思ってもいなかったから、
土曜日だったこともあって、病院にまでは行かなかった。
義姉①が電話をくれて、
’智子さん(私のこと)がくれたプリンを
一口食べたらしいよ’
って教えてくれました。
枝豆が毎年並ぶと叔父さんを思い出します。
声が聞こえるようです。
’おぃ、トモコ、
アイス、買ってきてくれや’
夏のあっちぇ盛りに食べたアイスキャンディー、
ホントに美味しかったよね~!
叔父さん、ありがとう。
ホントにありがとう。