’湯治’という言葉、
この耳慣れなかった言葉も、
栃尾又在住29年目になれば、
もういっぱしに語れるようになりました。
私の知る、ばあばの代、
そして、ばあちゃん(あるじの)ばあちゃんの代。
時代は変わっても、
お客様が栃尾又を目指す理由はただ一つ、
栃尾又のラジウム泉に入ること。
’体’を整え、’体’を作ることでした。
他には特に望まない(たぶん)。
寝るところ、休むところがあれば、それでいい。
自炊が当たり前だったばあちゃんの時代は、
お客様が米や味噌や野菜を自分で持ってきていました。
だから、食事だって、ご飯を炊いてくれればそれでいい。
ばあばの代になると、
自炊と賄い付き(食事を宿で用意すること)が
半々くらいになっていたようですが、
だんだん賄い付きが当たり前の時代になってきました。
賄い付きになると、
食には’美味しさ’を求めます。
けっして豪華ではないけれど、
すべて手作りのばあばの料理は、
きっと湯治生活の大きな楽しみだったことでしょう。
’食’は充実していたと想像するのですが、
’衣’、’住’、に関しては、
とても充実とは程遠時代に、
あるじと私は栃尾又に戻ってきました。
それから、19年後の2004年、
改築していま現在のようになりました。
最も大きなマイナス要因だった建物が、
プラスに変わった時でした。
それと同時に、
布団、しつらえ、料理、素材、備品、接客、
ありとあらゆること、
気になっていたことはすべて見直しました。
とにかく’居心地のいい宿’に
ここにいるだけで休める、
そんな宿に、
したかったのです。
湯治宿ですから、
温泉がすべてです。
でも、
温泉は自然のモノ。
もし、万が一、温泉ではなかったとしても、
’宝巌堂に行こう!’って、
お客様に言ってもらえるようになりたいね、って、
それくらい、居心地の良い空間にしたいね、と。
’湯治’は文字通り、
’湯で治す’ということ。
湯で治すのは、
昔のように、
体だけではありません。
心の疲れも湯で治します。
栃尾又の湯に浸かって、
栃尾又の空気を感じて、
栃尾又でいっとき、生活すること。
自分の五感を愉しめるようになること。
これが、’湯治’。
質のいい湯治生活のために必要なものをご用意すること、
それが宝巌堂の滞在です。
このたび、
昨日発売の自遊人8月号の、
’これからの湯治宿’の特集に載せていただきました。
私自身は野菜が大好きですが、
菜食主義ではありません。
油身は苦手ですが、肉も食べます。お寿司は大好きです。
パンも食べるし、ポテトチップスは唯一好きなスナック菓子。
駄菓子屋の駄菓子には目がありません。
ビールがなくては食事は始まりません。
調味料も吟味していますが、普通にどこでも買えるものです。
食に関しては、さまざまなやり方、アプローチの仕方があり、
これが絶対一番いい、とは言えない昨今です。
私も野菜好きとして、実はかなりあれこれ目移りしました。
それこそ自遊人の今月号を見れば、他の宿はすごいすごい。
とても太刀打ちできません。
いったいどんな料理を出せばいいのだろう。
でも、あるじに言われました。
興味のないことはできない。
無理はできない。
いつもの生活のちょっと延長上の宿なんだから、
そのようにすればいい。
肉は少し、魚も少し、
そして、うおぬまの野菜は盛りだくさん。
豪華な食材でなくて、
いつものうおぬまの食卓。
これが宝巌堂スタイル。
そして私が何より野菜を料理することが楽しい。
野菜が美味しいねって言う声を頂くのが嬉しい。
今までも、
これからも、
魚沼の美味しいものを、
たくさんお客様に味わっていただけるように、
できることは、
畑に行ってみることかな!
改めて、
’心がほどける 五感を愉しむ’
の意味を考えた機会となりました。
( トマトのトマト和え)
(晩春と初夏の野菜天ぷら)
夏野菜の季節がそろそろ始まりですよー!