2011年のあの日、
宝巌堂はちょうど休館日でした。
私は娘の部屋で、
当時やっていた朗読ボランティアの原稿を録音していました。
なんだか、ガタガタする。
揺れはさほどひどくないけど、
地震かな。
2004年に中越地震を経験している新潟県、
ひとりでいるのはなんだか嫌だな、思ったので、
台所へ下りてきました。
’地震だよぉ~、地震だよぉ~。。。’
と、なんとなくつぶやきながら、あるじを探して、
外に出てみました。
別段、変わったことはない。
震度はどれくらいだったんだろう、と、
テレビを付けてみました。
流れてきたのはテロップ。
ここには書けない、
それくらい衝撃的な内容のものでした。
それからのことは、
もう日本中の誰もが知っていること。
何度も見ていること。
何度も聞いていること。
あの日は、直後から
ずっとずっとテレビを点けっぱなし。
あるじと声もなく、見入っていました。
現実だとは到底信じられない光景でした。
その時は東京にいた娘。
私の実家へ行くでもなく、
計画停電の間も、ずっと一人でがんばっていました。
我が子ながらあっぱれだった。
あの日、
Twitterの威力を知り、
情報を集めました。
自分も出来ることを探しました。
それは節電。
私のやることなんてたかが知れてるけど、
自宅の便座のスイッチはあれ以来一度もいれていない。
客室の電気ポットは止めた。
冷蔵庫も共同のにした。
テレビも次に予定のない時は主電源を切っている。
毎日ドタバタしている中で、
震災があったことをいつも考えているわけではありません。
時間って時に優しいけれど、時に残酷です。
だからこそ、あの時感じたことを
今もしっかり刻んでおくように、
これからも節電します。
災害に見舞われたみなさんに、
少しずつでも心が平穏に戻れますように。
2017.3.11