おはようございます!
新潟県魚沼市の山合の温泉地’栃尾又温泉’
野菜大好き若女将、星智子です。
3・11から10年経ちました。
あの時どこで何をしていたのか、
思い出せる人はとても多い、と、
今日のつぶやきの中から見つけたひと言です。
何年経っても、あの時の自分を思い出します。
たくさんの犠牲になられた方に、
まだ見つからない2500人以上の方に、
静かに思いをささげる日です。
お見舞い、に、行ってきました。
病気じゃないのだから、
正確にはお見舞いではないのだけれど。
子供のころから私のことを
とってもとっても可愛がってくれた林檎母の姉、
つまり、私にとっては叔母さんですが、
’おばちゃん、いよいよみたい、
会っておきたいので、行かない?’と
妹からメッセージがきました。
叔母ちゃんには、すごく可愛がってもらいました。
昔、聞いたところによると、
私を養女にしたかったらしい、と。
初子の私を林檎屋両親は養女に出す選択はなく、それでも
本当に目をかけてくれた叔母ちゃんでした。
数年前から
ケアハウスに住んでいます。
健康状況もよかったので、平和に暮らしていました。
会いに行っても、わからないわよ、
行かなくていいわよ
と、林檎屋母には言われていて、
そんなものかなぁ、と、行く機会も作りませんでした。
だんだん自分のこともわからなくなってきた姉に会うのが
母もつらかったのかも。
94才になった叔母ちゃん。
元々痩せていたのですが
本当にすっかり、痩せていた。
一時は危なかったとのことで、
鼻からは酸素を入れていました。
母と、林檎屋3きょうだいが、
賑やかしく部屋に入っていった。
’叔母ちゃん、智子だよ、わかる~??’
と声をかけたら、
目がわぁ~って大きくなった。
わかる?わかる?
次々に母も妹も弟も、声をかけた。
そうしたら、
何度もうなづいて、
それから先は、
’ありがとう~ありがとうね~ありがとう~’って
そればかりをずっと繰り返していました。
本当にありがとうね~、ありがとう~。
切なくなるくらいのありがとう。
こんなにありがとうを言われた経験はありません。
自分から手を出してきて、
握ったその手は力もあって、
温かかった。
’あぁ、みんな、知ってる人でよかった~~’と
大きな声で言いました。
ボケてるよ、おばちゃんは、と言われていましたが、
自分でもそれが
きっと
わかっているのでしょう。
’ここがね、わからなくなって困るんだよ~’
と頭を指して言いました。びっくりです。
そんなことないよ、今わかってるじゃない!
ボケてないよー!
って言ったら、
’そうかねぇ、まだ大丈夫かねぇ~’って
しっかりとした口調だったの。
涙出た。
その瞬間はきっと繋がっていたよ。
誰しもが通る道だけれど、
人生があと少し、となったときなのに、
ありがとう、ありがとう、ありがとう、って
口を突いて出てくる言葉は感謝のことばだけ。
あんなに言えるだろうか。
きっといつもいつも
そう思って叔母ちゃんは生きてきたんだろうな。
なんて最高の人生なんだろう。
ありがとうの言葉を
かみしめて、
私も進まなければ。
叔母ちゃん、ありがとう。
また会いたい。
また会いに行くからね。