’家業を継ぐ、ということ’

こんばんは、

新潟県魚沼市の山合の温泉地’栃尾又温泉’

心がほどける五感を愉しむ 宝巌堂 の

野菜大好き若女将、星智子です。

 

dancyu(ダンチュウ)と言う雑誌をご存じの方は

多いことでしょう。

私も愛読者の一人です。

そこに載っている名だたるお店の貴重なレシピを

お店の通りとは、きっといってないけれど、

’100回作ればあんたのものになる’、

というあるじの言葉を信じて、

何度も作り続け、

はい、確かに私のものになっているわー!と思う。

財産ですね。

 

買っていたけれど、ちらっとしか見ていなかった、

2024年の1月号の特集は東京駅。

 

今度東京駅を利用するときに参考にしようと買ったのでした。

今日改めてページをめくり

わぁ、美味しそう、わぁ、ここにも行きたい!

今度、これ買ってこよう!と読み進んでいたら、

感動する記事に出会いました。

 

それがこちら。

お店は湯島のシンスケ。

ヨネックス時代、一度だけ行ったことがあります。

会社から近かったからね。

でも、

シンスケに行くにはその時の私たちはきっと若すぎたかも、と

今は思います。20代だったものね。

 

東京でなんと今年で100年続く酒場です。

 

’家業を継ぐ、ということ’

 

これは読まずにはいられない。

 

100年続く酒場。

これは酒場からの数えで前身は江戸時代創業の升酒屋だったそうです。

酒を量り売りして軒先で飲ませるという商売、今でいう角打ちでしょうか。

その後関東大震災で店は消失。

その時に居酒屋へ商売を替えて、今に至っているそうですが、

昭和の時代は本当に大変な苦労があったそうです。

 

今4代目のご主人が店を継いだのは

2001年のこと。

自分に課した命題があった、という理由で、

放浪したり、文筆業に就いたり、陶芸や美術を学んだりと、

家業から遠回りした。

その命題とは、

’家業を継ぐとはどういうことか’の

答えを探すためでした。

答えが出ないまま、先代が病になり、

継ぐことになったのだそう。

 

’代替わりって、バトンのように一度でポンとできるものじゃない。

急がずに準備して、うまくいかなければやめて。

革命ではなく、改革です。’

‘そして、この先の見えない時代には

たくさんの不安がはびこっています。

働き手の高齢化、

人材不足、

人件費や物価の高騰、

労働条件、

流通問題。

これまで通りが通用しない社会です’

(本文より)

 

そこでご主人がやったことは、

「シンスケ」を再定義すること。

 

シンスケとは、

’両関という酒を媒介に

生活の中で庶民の心を緩める空間’

この本質が維持できる道を考えること。

 

ここまで読んで、本当に深く深くうなづきました。

 

100年目のシンスケさんの半分の宝巌堂ですが、

この50年でもいろいろなことがあったんですよね。

 

グループも、お一人さまも、お子様連れも、家族旅行も、

賄い付きも、自炊も、芸者さんを呼んだ宴会も!

なんと相部屋までやっていたという、

なんでもありだった50年前から、

お一人さま、お二人さまが中心になり、

2食付きでの宿泊となった。

 

’おかえりなさい、

田舎の我が家へ’から

 

’心がほどける

五感を愉しむ’へ

 

’再定義’した10年前。

そして、

今ここ。

 

シンスケさんの言葉を借りれば、

宝巌堂とは、

’栃尾又温泉という貴重なお湯を媒介に

湯に集う人が、

心がほどけ、五感を愉しめるような空間’

 

ずっとこれができる道を、

今年も楽しんで模索していきます。

 

 

春が早そうですよ。