25年目の三社祭へ!

こんばんは、

新潟県魚沼市の山合の温泉地’栃尾又温泉’

心がほどける五感を愉しむ 宝巌堂 の

野菜大好き若女将、星智子です。

 

金曜日の仕事終わり、帰るときに、思わず榎本が確認した、

’土、日、休みですよね??’

と。

 

’そうなんだよ~~、私のわがままで、そうなんだよ~’、

と、

まさかの5月の土日に、休館日を頂きました。

 

実は去年から、

ひそかに決意していたのです。

来年の三社には、浅草に帰る、と。

あるじに伝えたら、まさかの反対にはあわず、

私の気持ちも固まりました。

 

’来年は三社に帰る’

 

栃尾又に戻ってきて、その後、娘が生まれてから、

2回くらいは三社の時に帰ったでしょうか、

ばあばもじいじも現役活躍だったので、

快く送り出してくれました。本当にありがたいこと。

当時は、宿屋が休みを取るなんて、

どの宿にとってもありえないことでした。

だんだんと忙しくなり、中心となって動くようになってからは、

なかなか実家に行くこともおっくうになり、

もちろん三社に行くなんて、選択肢は考えもしなかったよ。

 

あれから、なんと、25年の月日が経っていた。

そして、25年経って、

時代が、

また変わりました。

 

当時、

町内の若者が集まるきっかけを作ってくれたのは

そのときの町内のリーダーでした。

(今年から彼は三社祭の総代に就任しました!)

 

幼いころは楽しくて仕方なかった祭りも

思春期とともに、出るのがとてもイヤになっていた。

特に中学生の時は逃げてましたね。恥ずかしくて。

 

高校生になったあるとき、

リーダーが、青年部を作るから入ってくれ、と

両親の前で勧誘されて、地元を盛り上げよう、と。

それからあれよあれよという間に、

名前入りの半纏ができて、

町内の人たちとの交流が始まった。

お囃子の練習に毎夜集まったのがきっかけで、

女友達がたくさんできた。

実は私は浅草の学校出身ではないので、

地元の友達っていなかったんですよ。

ところが、その会をきっかけに、

どんどん知り合いが増えて、

(昔の高校生たち!!↓↓↓)

俄然、浅草に住むことが楽しくなってきたんです。

今となっては、あの時が私のターニングポイントだったと思う。

 

25年ぶりの三社は、

妹と娘と超楽しんできました。

 

最寄り駅に着いたときから

顔がにやけているのが自分でもわかったわー!

 

着いてすぐ、着替えて、

10分後には外に出てた。

直後、娘が撮ってくれた、母とのツーショット。

これも大事なことだったな。

 

こちらは娘の隠し撮りですが、

’ちょっとなんなの?、このボス感!!’と

2人して大ウケでした!

 

 

撮影した画像はなんと150枚以上あったよ!

 

その画像のだれの顔も、どの顔も、みんなみんな、

超ド級の笑い顔だらけだった!

 

肩が赤くなっている、

首がちょっと回らない、

足はだるい、

 

そんな疲れは、晴れやかに心地よい。

これが明日からの私の元気の源です。

 

行けてよかった。

本当に、おかげさまです。

私の周りのすべての人に心から感謝です。

ありがとうございます。

 

でね、

来年も行くぞーっ!!!!