客室はもちろん、廊下、階段、
館内のありとあらゆるところをピカピカに磨いてくれるスタッフ。
掃除が大の苦手な私にとっては
神のような存在です。
そんな苦手なことも、自分の部屋となれば
さすがにしないわけにもいかない。
普段は自室にいる時間もほぼ寝るだけのため、
まぁ、いっかーで、実はすましているという事実。
このいいお天気のなか、
重い腰を上げてようやく部屋掃除に取り掛かりました。
やっぱりいいね!掃除は気持がいい!
よどんでいた空気がきれいに入れ替わった気がする。
掃除をしていると、いろいろなものが出てきます。
そこで一時中断してしまうのは
誰でも覚えがあることでしょう。
このたび見つけてしまったのは!
なんとなんと、宝巌堂のふるーーーーーーーーぃパンフレットです。
きっと今現在の建物が、
初めて出来たときのころかも。
ということは、
あるじが大工さんの後を追っかけて、
のこぎりの切れっぱしをもらい、
大工さんの真似事をしていたあの頃か!
もう50年以上も前のパンフレットです。
ということは、
じいじとばあばが企画して作ったのかなー。
印刷屋さんが作ってくれたのかなー。
色々と思いをはせてしまいます。
最初っからすごいでしょ。
宝巌堂の全景です。
ほとんど今と変わりありません。手前の木もまだ現役か?
新しくこの家になったばかりだったのでしょうね、きっと。
部屋もなんだか新しい空気がします。
ここは現在の参の拾参(3?13)番かな?
ここは広間。
今現在の2?6と2?8は、昔大広間でした。
それを2つに分けたんです。
ちなみにこの画像は2?8の方ですね。床の間の柱、今もあります。
ここはお風呂。
こんなレトロな内風呂もあったんだね。
栃尾又温泉です!↓
冬はぬる湯が冷めないように、男女混浴だったそうな。
まだ、道路は舗装されていませんでした。
もちろん除雪はできない。
あるじはこのころ、大湯のおばさんのウチに
冬は疎開して、そこから学校に通ったんだそうです。
それにしても、無雪道路、っていったいなんだろうね?
子持ち杉。
杉の間が、今現在よりも大きく開いています。
今は人が通れるか通れないかくらいに細いから、
太く成長しました。
奥只見も載っているし、
栃尾又小唄の歌詞も載っている!
今現在の中身に改築してから、
今月27日、12年目を迎えます。
本当にあっという間だった。
建物自体は、
この古いパンフレットのときからまったく壊していないので、
同じままです。
まだまだ活躍してもらうように、
次の世代にもつながるように、
これからも大事にしていこう。