毎年決まって5月の第3なのに、
今年の三社祭は、第2土日。
なんでだろ?
ということは、もう今週なのです!!
三社祭は夏の始まり。
今年もあっという間に夏が来ますよ。
子供の頃はお祭りは大好き!
おみこしも担いだし、山車も引いたし、
縁日も楽しんでた。
でも、
小学校高学年から中学になると、
祭の、まの字も口から出てこないほど遠ざかっていました。
いわゆる思春期というやつですね。
恥ずかしくってたまらかなった。祭という言葉を口にすることも。
それに、
小中学校は浅草の学校ではなく、
越境入学で(昔は流行ってたんです)文京区の学校に通っていた私は、
学校の友達も、地元の友達も近くにいなくて、
思い返せばなんだか寂しい子供時代だったかも。
そんなまま、高校生になったある日、
忘れもしません、
隣のお兄さんがやってきました。
’今度、町内会の青年部を作ることになったんで、
智ちゃんも(私です)入ってね!’
隣のお兄さんはどゼう飯田屋の若旦那でした。
林檎屋両親は大賛成。
青年部を作るきっかけは、
神輿を担ぐ人間がだんだんといなくなっていた、というのが大きいでしょう。
今も昔も、若者が不足していたのですね。
そして、そのころの浅草は、今現在の賑わいぶりからは
想像できないくらいに人がいませんでした。
観光客が浅草から離れていた時代だったんです。
きっといろんなことにみんな必死だったんだろうな。
そんなこんなで、
青年部ができました。
普通は、
’西浅草3丁目東町会青年部’という名称でしょうけれど、
付いた名称は、
’芝楽’(しばらく)
西浅草という地名の場所は、昔、’芝崎町’と呼ばれていました。
’芝’崎町の人が’楽’しむ会。それが’芝楽’。
なんかいいですよね!
私もその時から、どっぷりと三社祭に戻ってきました。
祭りの準備やら、会合やら、そして祭当日、
それから直会などを通じて、
だんだんと知り合いも増え、友達もできて、
ようやく、心から地元で楽しめるようになれました。
’芝楽’を一番地で行ったのは私でしたね、きっと。
栃尾又に来てから、なかなか祭りには帰れません。
それになんとなく帰る気もせず、
遠くで眺めていたのですが、
今年は何となく気持ちがそわそわしています。
そんなところへ、三社祭の公式読本が出ると知ったのですが、
買えるのは社務所のみ。
それを知った友人がわざわざ買いに行ってくれたんです!
今日届きました!
いやー、表紙見ただけで、ブルッときちゃうでしょ!
そんな友人は、越境していた文京区の中学時代の友人です。
今や宝巌堂の超常連さんとなっています。
ご縁は本当に面白い。
越境しなければ、こんなご縁はなかった。
すべてはどこかで必ずつながっていますねぇ。
三社には帰れないけれど、
この公式本で賑わいを味わうことにしましょう。
そして、こんな懐かしい古ーい写真もなぜか引き出しにありました。
あるじと結婚したころの一枚です。
妹も、林檎屋母も、叔母、地元の友達もいる。
真ん中は私のお祖母ちゃんです。
この写真を久々にじっくり見ました。
亡き林檎屋父は、きっとカメラマンでしょう。
三社は必ず1日は雨が降ります。
隅田川からあげれられたご本尊様だから
それはそれでよし。
普段できないようなずぶ濡れで神輿を担ぐのも
一興です。
今年も浅草が、
’良い気’であふれますように!
遅いコメントで凄ーく気が引けますが。。。
林檎屋店頭集合写真に目も心も釘づけ。
懐かしい顔と空気感で胸が一杯よ。
画像アップありがとう。
P子さん、ありがとうー。懐かしい写真を載せて
妹には怒られました。みんな若いよねー。本当に懐かしい。