館内は旅館につきもののスリッパのご用意はありません。素足でも、畳よりも暖かい桐材を使っているからです。改築前ははスリッパ使用でしたが、年配のお客さまは古いけれど磨きこまれた廊下をスリッパなしで歩いていました。’スリッパは滑るからねぇ’と、そんな言葉からスリッパのない宿にしよう!と決めていました。そんなときに’桐’という運命の木と巡り合えました。
「この梁、残しましょう!」当館改築時に設計をお願いした倉橋英太郎先生とのご縁、そして今もこの梁が、宝巌堂の特別なものとして残っているのは、先生のこの一言によるものです。
「ご家族のアルバムを見せていただけますか?」設計の打ち合せに来たのに何をしたいのだろう?と思いながら話を進めていくと、「こういった建物には必ずお宝が隠れているんですよ!」と。おもむろに3階の天井から首を突っ込んで調べ始めた倉橋先生。しばらくすると「ご覧ください。こういったものを壊しちゃいけませんよ…。」
工事中はこれらの梁は隠れるようになっていて、全く気付かなかった私たち。「これを表に出して!」とお願いしました。電気屋さん・大工さん・みんなの手を止めさせて、急遽見事な梁は日の目を見ることとなりました。感謝。
この梁は旧湯之谷村の大沢小学校のもの。私たちは知らないけれど、昔々「これをつかわねーか」と話を持ちかけてくれた方に感謝。そして今まで残してくれた先人たちに感謝。
改築工事中、ふと見たTVがきっかけでした。「新潟経済ジャーナル」という番組でした。「桐ってなんかよさそうだね、じゃ、早速行ってみよう!」と珍しく即行。そして半日その店で過ごしてしまうとは、思ってもみませんでした。その日はおりしも吹雪。店内に薪ストーブが焚かれていたとはいえ1時間スリッパも履かずに桐の床に立っていたにもかかわらず、足元はポカポカしたままです。
「スリッパのない旅館」は最初からの計画でしたが、素足=畳は当時では当然の発想です。それが、もっと人に優しくて、表替えや入れかえの必要がない素材に出逢えたことが、最高の驚きでした。早速、設計事務所に電話を入れ、発注寸前だった畳等を抑えていただき、担当設計士さんに2日後の来店をとりつけていました。
床に桐材を採用したことが、その後も好結果をもたらしてくれました。お食事処の床も畳を考えていたのですが、桐床にしたおかげで、ずっと悩んでいた椅子・テーブルがあっという間に決まりました。古材のテーブルに桐の椅子。埃っぽくなりがちな座布団も不要になり、床暖房も必要なくなりました。何よりもこれらの家具と外の景色が織り成す雰囲気が最高だと、自画自賛しております。
私たち館主・女将の子ども時代。日本がきっと今よりもっと元気だった昭和30年代を思い描き、館内にも懐かしいものを配しました。ガラスの電気のかさ、昭和の本棚、茶箪笥、ちゃぶ台、ノスタルジックなスタンド。どれも絶滅危惧商品だと思っています。
宿屋は衣食住、すべてが重要な要素を占めています。すべての寝具は丸八真綿製。敷き布団は羊毛の4層。掛け布団は羽毛布団。枕はオリジナルの2重構造。カバーリングも日本製です。そしてなによりも、シーツ枕カバーは当然のこと、カバーリングもチェックアウトの度に交換し、清潔第一に整えています。安心してお休みください。
全面暖かい桐床です。個室ではありませんが、テーブルごとの仕切りは懐かしい素戸や、桐材の欄間を利用しました。食器棚も古めかしい木製です。テーブルは古材の重厚な感じですが、椅子はあぐらをかけるようにあるじがデザインした桐材です。外の景色と内装が一体化する、宝巌堂オリジナルのお洒落な空間です。
2階の1部屋を改造して、読書室’本箱’を作りました。元々明るくて日差しがたっぷりの客室だったので、形を変えた今も、それを生かしたオープンな空間となりました。
宝巌堂で使っているアメニティや、使っていた食器など、調味料や材料などの食に関するものなど、’The 宝巌堂’のおススメが並びます。他にも、雑貨大好きな若女将が選んだ小物たちや、裁縫がプロのスタッフがつくったバッグなど、宿屋のお土産とは一味違う品ぞろえです。地元のおススメ品はどこで買えますか?も、相談してくださいね。ご案内いたします。